万歳事件を知っていますかたまたま図書館で目に入った本です。本の表紙の写真がなかなか見つからず、借りてきた本といえばうちの学部の書庫の本は表紙のカバーをとってしまうのか、カバーがなく
これを写真でとっても、「何?」ってなるので写真をとってupするのはやめました。
本のタイトルですが、恥ずかしながら、わたしの答えは「知りません」でした。だから、ちょっと読んでみようと思ったのですが。
1985年、著者が
韓国の京畿道の堤岩里へ行き、取材を始めます。どうして堤岩里かというと、1919年3月1日、ソウルで抗日独立運動が火蓋を切るわけですが、その後、
韓国のあちこちでデモが繰り広げられます。 日本の官憲の弾圧も激しくなっていくなかで、キリスト教信者は特に目をつけられたそうです。 この堤岩里村では、そんなある日、キリスト教信者の男性ばかりを教会に呼び出し、外に出れないようにして、教会に火を放ったそうです。 逃げようとする者は射殺されたり。 その事件の目撃者である女性がまだ健在ということを知り、会いに行ったというわけです。
本はその女性の取材や、独立運動に参加していた人などの取材の内容と、当時の歴史的背景の説明などで構成されています。
確かに、生き証人の言葉が続くわけで、やっぱり、ちょっと重い内容です。ただ、取材を通して得たことを、客観的に、そして、著者の感情をあまり入れずに書かれている印象を受けました。
この本の中心になっているとも思える著者の言葉をここに引用します。「人を知るということは、時として、その人の哀しみに心を寄せることであるとすれば、他国の哀しみに心を馳せることは、その国を知ることだと言えるかもしれない。 その国が、何かと複雑な関係にあった隣国であってみれば、合わせ鏡で自国を映すようなものではないだろうか。 重い足どりで奪われた野を行く民びとの哀しみとはいかなるものだったのか−。」(『万歳事件を知っていますか』,p.8)
初めて海外で生活し始めた頃、今まで自分が暮らしていた世界と全く違うことに驚いた思い出があります。 自分の価値観と異なる場所で暮らす時間が長くなればなるほど思ったこと。 それは、他国の人を好きになる必要も嫌いになる必要もないということ。文化や習慣、歩んできた歴史が違うわけだから、受け入れがたいこともあって当然かもしれない。 でも、“好き”とか“嫌い”という感情はおいておいて、少なくとも、相手を、相手の言おうとしていることを理解する、耳を傾ける、理解しようと自分なりに努力すること。 こういうふうに思っていろいろな人と接するようになってからは、不必要な感情に振り回されることはなくなったような気がします。
tags : 韓国