おたあ・ジュリアのアリランが聞こえる
以前読んだ
『万歳事件を知っていますか』(木原悦子著)の中で、著者が“
おたあ・ジュリアについて調べている”ことに触れられていました。わたしにとっては、この“
おたあ・ジュリア”という名前は聞いたこともありませんでしたしどこの国の人?って感じで、不思議な名前だなと思っていたのですが木原 悦子さんが書いた『
おたあ・ジュリアのアリランが聞こえる』という本を先日見つけたのでさっそく読んでみました。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役の時、多くの俘虜が日本に連れてこられましたが、戦乱の中孤児となった女の子を小西行長が日本に連れ帰り、妻に養育させたそうです。その女の子が
おたあ・ジュリア。
小西行長はキリシタン大名の一人であり、
おたあ・ジュリアの面倒をみた行長の妻や母親もキリシタンだったので、
おたあ・ジュリアも洗礼を受け、キリスト教信者となります。
その後、小西行長は関が原の戦いで破れた西側の陣営にいたため、
おたあ・ジュリアは最終的に徳川家康の元に送られ、側室のもとで侍女となります。家康が何度となく、
おたあ・ジュリアに側室となることを要求しますが、彼女はそれを断り続け、またキリシタンへの弾圧も日に日に強まる時勢だったということもあり流罪となり、大島へ流されます。 その後、大島から新島、そして最終的には神津島まで流され、そこで40年近く暮らし、この世を去った女性だったそうです。
彼女のことについては、当時のイエズス会の資料などにも何度か名前が見られ、実在した人物であることは確かだそうですが、詳しく解るというほどではないようです。
この本は、
おたあ・ジュリアの生涯についてもっと詳しく書かれているのかと思ったのですが大部分は、
おたあ・ジュリアが生きた時代の当時の日本の様子について比較的詳しく書かれています。まあ、時代が時代ですし、島に流されてからのことなど、そうそう多くの記録が残っているわけはないのでしょうが…。
話しはちょっとそれますが、豊臣秀吉の文禄・慶長の役は、
韓国では壬辰・丁酉倭乱(임진・정유왜란)と呼ばれています。彼らにとっては、日本による侵略の歴史はこの文禄・慶長の役から始まっているというのはよく聞くことですね。わたしは北京で
韓国人留学生や主人と知り合う前までは知りませんでした。
ある時、主人がその事を教えてくれたのですが、正直言って、その言葉を聞いたときなんかタイムスリップしたような…。今、自分の前にいる人間が、自分と同じ時代の人とは思えなくなってきたというか…。だって、豊臣秀吉ですよ、完全にむか〜しの歴史の中の人物。 そして朝鮮出兵も中学や高校の歴史の教科書で読んだこと。わたしたちの頭の中では、そういう事があったという知識はあっても、その時代と今の自分たちをリンクするっていう感覚はないと思うのですが。ただ、文禄・慶長の役に関する本などを読むと、すごい勢いで日本の武将たちが朝鮮半島に攻め込み、地元の人たちがどんな目に遭ったかということが解ってくると感じることも違ってくるわけですが。そういう意味でも、この一冊は歴史的背景については詳しく調べて書かれている本だと思いますし、また、陶芸など、日本の文化や技術だと思っているものの由来や
韓国との関係についても、説明してくれている本だと思います。
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